品川区に今も残る伝統工芸(仏像彫刻)

品川区に今も残る伝統工芸(仏像彫刻)
第169号(2024.2.20発行)

仏教の尊像(仏様の姿をうつした像)を表現する仏像彫刻。仏像と聞くと大仏を想像してしまいますが、小さい仏像なら初心者でも彫ることができます。今回取材した仏師(ぶっし)の榎本宣道さんは、会社員として働きながら24歳のときに趣味で仏像彫刻をはじめました。その後、国内外の寺院に作品を納め、現在では都内および埼玉の各所で仏像彫刻教室を開催しています。榎本さんに仏像を彫りはじめたきっかけやその魅力についてお伺いしました。

榎本宣道さん

仏像彫刻と必然の出会い。会社勤めの傍ら作品を寺院へ納める

幼い頃からお祖母様が毎朝仏壇に手を合わせている姿を見ていた榎本さんにとって、神仏について考えることはごく自然なことでした。10代で僧侶を志したことがあり、少林寺拳法に夢中になるなど、仏像彫刻を始める前から、仏教との関わりの多い人生を送ります。専門学校に通いながら会計事務所に勤めた後、メーカーに経理として入社すると、多忙な日々が続きました。「このまま時間が過ぎていって、燃え尽きてしまう人生はもったいないと思いました。そんなある日、本屋へ行った際に仏像彫刻の本を目にしたんです。仏像の表情を見て、とても穏やかな気持ちになりました。その体験が忘れられず、仏像彫刻に興味を持ちました。知人から、この世には”偶然”というものはなく、出来事や出会いは全て”必

然”だと教えてもらったことがあります。本屋で仏像彫刻の本を見かけたのも必然だったのだと思います」。幼少期から図画工作が好きだった榎本さんは、まずは仏像の絵を描くことから始め、次に粘土を使い見よう見まねで仏像を作りました。その後、独学で仏像彫刻を始めました。

仏像彫刻を始めて1年経った頃、参考にしていた本の著者であり憧れの大仏師である松久朋琳(まつひさほうりん)氏を尋ねて京都を訪れました。早朝に松久氏の自宅へ向かうと、ちょうど朝の散歩に向かう松久氏本人に出会いました。「一緒にどうですか?」と声をかけられ、京都の大日山を歩いた後、榎本さんが制作途中だった仏頭(仏像の頭部)を見せると、5分足らずで左半面を修正してくれたそうです。そのときの仏像は、今でも榎本さんの宝物です。

その後も53歳で早期退職するまで、会社員として仕事をしながら、限られた時間で仏像彫刻を続けました。展示会への出展や教室の開催だけでなく、会社勤めの傍ら仏像彫刻を行う榎本さんの活動は新聞でも取り上げられました。その間、依頼を受け、平成元年には渋谷区祥雲寺に釈迦如来座像を、平成5年に品川区相慈寺に阿弥陀如来座像を納め、退職後、平成二十年にはハワイホノルル市天台宗ハワイ別院に観音立像を納めました。

釈迦如来座像(東京都渋谷区祥雲寺)

仏教の哲学を形にする。これからも“できることをやる”

仏像彫刻では、柔らかく粘りがあって彫りやすい木曾檜(きそひのき)が主な木材として用いられます。仏像の大きさ、彫る面積や角度によって様々な種類の彫刻刀を使い分け、仕上げでは薄さ0.02mmをコントロールしながら制作をするのだそうです。厚さ0.04mmのコピー用紙であれば、紙に印字された文字だけ削ることができる精密さです。大きい仏像は鑿(のみ)と木槌を使って彫ることもあります。図面を参考に木材に書き写してから彫るのが一般的ですが、榎本さんの教室では、印刷した展開図を円柱に彫った木材に貼り、その紙の上から彫ります。木材に直接書き写すより正確で簡単な方法です。(著書「あなたも作れる小さな仏さま」に展開図あり)

榎本さんは自身の活動について「自分のやれることをやっているだけ」と話します。「仏像彫刻を始めたきっかけは穏やかで優しい仏像の表情に魅了されたからですが、今でも続けられているのは様々な方との不思議なご縁のお陰であり、何より、彫ることは私にとってワクワクすることなんです。私は学者ではないので、仏教哲学を学んで突き詰めることはできませんが、仏像づくりを通して、人を深遠な仏教にいざなうことができるかもしれない、とも思っています」。

教室で指導する榎本さん

最後に、榎本さんに今後の目標を聞いてみました。「こうして仏像彫刻に専念できる今が私にとって一番幸せなので、特別な夢や目標はないんです。現状維持というのは実は難しいので、今の自分ができることを継続するようにしています。続けることが新しい発見や出会いに繋がると思います。ただ、私が自分の作品を作ることや、受賞することで喜んでくださる生徒さんがいらっしゃるので、この先も、体が動く限り仏像彫刻の道をこのまま続けたいと思っています」。

(編集委員 古郡)

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