人生をかけて行う街づくり

地域共創(大崎×五反田LINK独自記事)

大崎駅周辺で毎年開催される「しながわ夢さん橋」や、約3万人の小中高生たちが演奏を発表してきた「パワードリームミュージックフェスタ」など、さまざまなイベントを企画し街づくり活動を行う綱嶋信一(つなしま のぶかず)さん。約40年にわたり地元を盛り上げようと尽力してきました。今回は、街づくりへの想いや活動に対する信念について語っていただきました。

みんなで無難に進むのではなく、一人ひとりが市民力を持つことが大切

——35年続くイベント「しながわ夢さん橋」にあわせて開催される「ノンストップ山手線『夢さん橋号』」に大変興味を持ちました。

綱嶋さん(以下、綱嶋):私は大崎で生まれて73年。私にとって大崎は、心から大好きな地元です。35年前に大崎ニューシティが建つ時、開発計画の説明会は組織や団体に対してしか行わないと言われ、まずは地元住民に説明すべきではないかと思った私は、すぐに「大崎駅西口商店会」をつくりました。歯医者や整骨院などにも入っていただき37軒が集まり商店会ができたので、大崎にもっと人が集まるためにはどうしたら良いかを考えました。そして、山手線を借り切って、大崎駅発着でどこにも停まらずに一周するイベントを企画すれば、大崎に1000人集まるほどの面白い企画になる、と思い付いたのです。

当時の駅長とはもともと交流があったので「山手線を貸してほしい」と話しに行きましたが、「前例がないからできない」と言われてしまいました。そこで後日、本社へ出向いて熱い想いを語ったところ「おもしろい」と賛同を得て、山手線を借りられることになったのです。しながわ夢さん橋を始めた1987年は国鉄が民営化されてJRになった年なので、そういったタイミングのよさもあったと思います。

ノンストップ山手線は、みんなでつくるイベントです。私は、お金をかけなくても良いイベントができると思っています。新宿駅や渋谷駅で停まるはずの電車が停まらず、通過する時に車内にいる人たちから手を振られたら「なんだこの電車は」とびっくりしますよね。お金をかけて特別なことをするのではなく、日常の中の非日常を楽しんでもらいたいのです。ノンストップで走っている間、車内ではノベルティグッズを景品にしたじゃんけん大会をしたり、約1200人の乗客みんなで手をつないだりして盛り上がります。山手線は環状線だから、一つの輪をつくるイメージで手をつなぎ『幸せなら手をたたこう』を全員で歌うと、みんなが一つになれるのです。35年間ほとんど変えることなく楽しんでいただいています。

それと、障害のある方にも毎年乗っていただいています。障害のある子どもたちは電車や飛行機、船などの乗り物に乗ってみたいと思っても、なかなかその機会がありません。ですから、ノンストップ山手線に乗ってもらうことで、子どもたちの夢を叶えてあげたいと思っています。自閉症の子のお母さんに、「途中でドアが開かないから安心して乗っていられる」と涙ながらに言っていただいたり、子どもたちが喜ぶ姿を見たりするだけで、このイベントを続けてきてよかったと思います。

——夢と優しさのあるイベントですね。

綱嶋:長いものに巻かれず、自分の価値観と自分の判断で決めたことは責任を持ってやります。私がイベントの企画や街づくりをする上で、大切にしていることです。

2018年の車内じゃんけん大会

——補助金に頼らず地域活性化の活動を行っているそうですが、それはなぜですか。

綱嶋:補助金に頼らなければ、自分の好きなようにできるからです。行政と組んで活動をすると、必ず公平で平等にやらなければなりません。税金を使うわけですから、そういったハードルがあるのはわかるのですが、普段から市民と一緒に汗をかいていない人がイベントや冊子の最初に出てきてあいさつをすることに違和感があるのです。

——「みんなでやらない」というモットーもあるそうですが、これはどういう意味ですか。

綱嶋:みんなで集まって行政と会合をすると、どんどん角が取れて無難な方向に進みます。尖ったものやメッセージがあるものでないと人の心に刺さらないと私は考えているので、無難に収まる会合はつまらないと感じます。ですから私は、「みんなでやらない町おこし」、「私から始める街づくり」と言っています。一人ひとりが市民力を持ち活動していけば、それが全体になっていくのです。「しながわ夢さん橋を35年も続けて大変だったでしょう」とよく言われますが、自分の好きなことをしているから楽しんでやっています。10年も20年も前に議会で決まったことをそのままやっていては、若い人はおもしろいと思わないのではないでしょうか。

夢と希望を持ってチャレンジできる街にしたい

——地元が好きだという綱嶋さんの気持ちと、おもしろいことをして街をよくしていきたいという信念が伝わってきます。

綱嶋:例えば、笑顔があふれる街にしたいなら、まずは具体的に何をどうしていくかを考えなければなりません。ですが、無難に進めると「みんなでがんばりましょう」というのが最後の答えになり、本当に大切なことがぼやけてしまいます。「一人ひとりが自分のできることを持ち寄って会議をするからこそ、物事が動き変化していく」というのが私の街づくりの理念です。

私は日本全国で街づくりに関する講演を行ってきましたが、5~6年前にやめることにしました。自分の人生の残り時間を大崎のために使おうと思ったからです。私の次なる夢の実現に向け、「道夢(どうむ)」という言葉を掲げて精神的支柱としました。若者や高齢者、健常者も障がい者もすべての人が夢と希望を持てる街にしたいのです。例えば今の若者は、夢を持ってもすぐにしぼんでしまいます。なぜかというと、夢へとつながる道や明かりが見えないからです。私は、大崎というフィールドを使って若者がチャレンジできる街にしたいと思っています。

——大崎の課題はなんだと思いますか。

綱嶋:新住民をどのように地域の仲間として引き入れるかが課題です。新住民の中で何かをやりたいと思っている人や光るものを持っている人が、地域に活かされる仕組みを作っていきたいと考えています。また、新住民が地域に溶け込むためには、ふれあいが非常に大切なので、地域のイベントをはじめとするさまざまな情報をどのように広げていくかも大事だと思っています。

——綱嶋さんは、大崎第二地区の地域情報誌『ふれあい』の初代編集長をされていました。

綱嶋:住民のきらりと光るものを引き出していくのが地域情報誌だと思っています。例えばクラブ活動などで優秀な成績を収めた子どもだけを紹介するのではなく、3年間1度も勝てなかったけれどキャプテンとしてがんばった子どもに焦点を当てるなどの誌面づくりを行ってきました。それぞれの街の文化や歴史は後世に残していかなければなりません。情報誌も地域の財産の一つだという想いから、私はデータとしても残すようにしています。

今から50年くらい前に私が20代だった頃、大崎第二出張所(現地域センター)の初代所長が大崎に関する資料をたくさん持っていたので、すべてコピーさせてもらいました。品川区には大崎町史がなかったから、資料のコピーをさらにコピーして郷土資料館にも寄贈しました。諸先輩方が残してくれたものを後世につなぎ大崎の変遷を知ることは、地域にとってとても大事な要素です。行政は過去の貴重な資料を放っておくのではなく、どのように整理するかを考えてまとめていってほしいと思います。街づくりは本当に難しくて時間もかかりますが、私が腰を据えて40年近く活動を続けられたのは大崎だからです。大崎が好きだという気持ちが原動力になっています。

<プロフィール>
綱嶋信一
・品川区商店街連合会副会長
・しながわ観光協会理事
・品川区大崎周辺まちづくり協議会会長
・しながわ夢さん橋実行委員長
・品川区少年サッカー連盟会長

(若松 渚)

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