生まれ育った地域のために活動できる喜び

生まれ育った地域のために活動できる喜び
地域共創(大崎×五反田LINK独自記事)

昭和8年創業の伊藤洋服店(東五反田)の2代目であり、大崎第一地区・相生会の町会長を務める伊藤晃司さん。地元小学生との交流や長年続けたメダカの研究、地域のお祭りなどについて語っていただきました。

メダカの授業を通じて、「子どもは一人ひとり違う」と感じた

——地域の小学2年生が毎年、伊藤洋服店を訪ねてくるそうですね。

伊藤さん(以下、伊藤):私の母校でもある品川区立第三日野小学校の2年生が、授業の一環で地域のパン屋や喫茶店などを毎年訪問します。私の店にも来てくれるので、子どもたちが実際に体験できることをしてもらおうと思い、シンガーの足踏みミシンで布巾を作って持ち帰ってもらいます。大体8~9人のグループで来るから、布に人数分の線を引いておいて縫ってもらうのです。そうすれば、訪問後のクラス発表の時に、「みんなで布巾を作りました」と言って見せられるでしょう。今は電動のミシンがほとんどだから、貴重な体験だと思います。もう10年以上続けていますね。

子どもたちにも好評ですが、昔に比べると最近の子どもはおとなしいと感じます。昔はミシンについていろいろ質問されましたが、今の子どもはあまり質問をしません。厚い布を裁断する大きくて重い年代物のハサミがあり、それを子どもたちに見せても関心が薄いようです。それと、店で使う物差しはセンチ、インチ、尺の3種類がありますが、昔の子どもは「すごいなー」と反応してくれました。今の子どもはおとなしいので、あまり興味がないのかなと感じることがあります。

そんな中、昨年訪ねてきた女の子に「ミシンの糸はどこから出てくるのですか」と質問されたのです。ミシンには上糸と下糸がありますが、下糸のことを聞いてくる子は今までいませんでした。下糸を巻いたボビンを見せて説明しましたが、よく気が付いたと思って大変感心しました。壁に貼ってあるのは、子どもたちが書いてくれた感想です。とてもうれしいですね。

——伊藤さんは長年メダカの研究をしていて、近隣の小学校ではメダカの授業も行いました。そもそもなぜメダカに興味を持ったのですか。

伊藤:私は昭和13年生まれで現在84歳です。生まれた時からずっと五反田にいますが、昭和19年に長野県伊那市へ縁故疎開しました。メダカと出会って好きになったのは、その頃のことです。その後、30年くらい飼育していました。

メダカの授業は約20年、80歳になるまで続けました。小学5年生の理科の教科書にメダカが出てくるので、生態について教えたり宇宙メダカの話をしたりしました。宇宙メダカは、東京大学教授の井尻憲一博士の提案によって行われた実験で誕生しました。平成6年7月、宇宙飛行士の向井千秋さんとともに4匹のメダカがスペースシャトルで宇宙飛行し、脊椎動物として初めて宇宙で産卵しました。宇宙でふ化したメダカと、地球に戻ってからふ化したメダカの2種類が誕生しています。

十数校で授業をしましたが、児童からの質問ですごいと思ったのは「メダカは人間のことをどう思っているのですか」というものです。真剣に考えていることが伝わってきて感心しました。私は考えたこともなかったので、正直に「すみません、わかりません」と答えました。子どもたちは一人ひとり違いますから質問や感想文に個性が出ます。時には、私が子どもたちに教わることもありました。

——伊藤さんの小学校時代の思い出を教えてください。

伊藤:私は第三日野小学校に入学してすぐ縁故疎開して、6年生の初めに戻ってきました。ですから、入学と卒業は第三日野ですが、小学1~5年生までは長野県伊那市で過ごしました。当時は農家と非農家で食卓に並ぶ食事の量が違い、疎開先は非農家だったこともあり、食べ盛りの私はとにかくお腹が空いていて、いつも何か食べたいという感じだったのをよく覚えています。山奥の上流から流れてきた栗を川に入って拾い生で食べたり、魚を素手で採って煮て食べたり、柿などの果実をもぎ取って食べたりしました。好き嫌いを言っていたら死んでしまうから食べられるものはなんでも食べましたが、生家で唯一栽培していたさつまいもで作ったふかし芋は本当においしくて、いまだに好きです。本当に苦しかったのですが、沖縄や広島の戦中戦後の話を聞くと、我々はまだいいほうだったのかなと思います。

地域のみんながつながるお祭りは大事

——伊藤さんは長年、町会長をされています。五反田の街の移り変わりについて、どのように感じていますか。

伊藤:町会長は今年で17年目になります。私の父は25年間、町会長を務めました。街の変化としては、とにかく高層マンションが増えましたね。町会費はマンションの管理組合を通じて払われるため、マンションに住む方とはほとんど接点がないというのが現状です。昔のように一軒一軒もらいに行かなくなり、話をする機会がなくなってしまいました。

そんな中、地区内にある地域密着型多機能ホームの東五反田倶楽部が、地域の夏祭りやファーム・エイド東五反田などのイベントを開催してくれています。とても良いイベントで、毎年たくさんの地域住民が集まります。町会も協力していますが、今後は行政がもっと関わってくれることを期待したいですね。

ファーム・エイド東五反田(2021年の様子)

それと、私の町会は雉子神社の宮元ですから、2年お休みしているお祭りをぜひやりたいと思っています。先日行われた神社の総代会には地区内の町会長が集まり、お祭りをやってほしいという要望がたくさん出ました。お祭りがないとやっぱり寂しいですよね。山車や神輿が通れるよう各町会が協力しますし、地域のみんながつながるお祭りは大事だと思うのです。

私の父は神主の子どもで、私は父に「世のため人のために尽くしなさい」としょっちゅう言われました。ですから、それが今でも私の座右の銘です。母校の第三日野小学校とも縁があり、PTA会長を5年務めた後、品川区立小学校PTA連合会の会長までやらせていただきました。世のため人のため、今まで元気に活動できたことは本当にうれしいですね。人生はいろいろなことがありますが、地域のためにもう少しがんばりたいと思っています。

<プロフィール>

伊藤晃司

品川区立第三日野小学校在校時に、戦争により父の生家である長野県伊那市に5年間縁故疎開した。疎開先の川でメダカと出会い、生態系に強い関心を持ち、約20年間、品川区立第三日野小学校を中心に複数の学校で、メダカの授業を行った。また、宇宙メダカの誕生に携わるなど深い研究を行い、その貢献の証として宇宙メダカ研究会功績賞を受賞した。
また、地域活動においては、 第三日野小学校PTA会長、品川区立小学校PTA連合会長、社団法人品川法人会・副会長を歴任するなど長きに渡り地域に多大な貢献を続けている。

                                      (若松 渚)


タイトルとURLをコピーしました