品川区ゆかりの偉人

第160号(2022.8.20発行)編集中

品川区ゆかりの偉人(前編)

行元寺(西五反田)の住職で書家としても活動する印南慶俊(号豊道溪峻)さんは、近代書道の礎を築いた書家で僧侶の豊道春海さんの孫です。慶俊さんの父・溪龍さんも書家と僧侶で、三代にわたり作品を揮毫し寺を守っています。春海さんの功績や区内で見られる作品、書道の楽しさや自身のことについて、慶俊さんに話を伺いました。前後編に分けてお届けします。

書への想いに突き動かされて

 春海さんは大正時代、東京府美術館(現東京都美術館)で書道の展覧会を開きました。それまでは畳敷きの大きな部屋に軸を掛けてみんなで観賞するサロンのような集会しかなく、書は美術界に受け入れられていませんでした。そんな状況の中、春海さんは同館に出資した実業家の佐藤慶太郎さんに直訴し、賛同を得たことで展覧会を開催。美術館やギャラリーで書を楽しむ現在の基盤を作り上げました。

 第二次世界大戦後の昭和23年には、日本画、洋画、彫刻、工芸美術の四科だった日展に第五科として書を新設し、美術界での価値を押し上げました。

 春海さんは書への強い想いから、教育の分野でも功績を残しています。戦後、小学校で廃止された毛筆習字を復活させるため、連合国軍最高司令官のマッカーサーに陳情書を提出。「自決の覚悟で文部省(現文部科学省)に通い詰めて主張を通した」と慶俊さんが話す通り、陳情を続けた結果、昭和26年に毛筆習字は復活を果たしました。

 昭和33年に国交回復前の中国から正式招待を受けて訪中した春海さんは、書を通じて日中友好の架け橋となっただけでなく、昭和39年に北京、広州、上海で開かれた個展で約33万人を動員。昭和42年には書道界初の文化功労者に選ばれました。

中国の奉先殿で大字を揮毫する春海さん(昭和33年)

孤独な環境が精神力を育てた

春海さんは6歳の時に母を亡くし、叔父のいる上野の春性院という寺へ引き取られます。その後も勘当と称していろいろな寺へ出されるのですが、行く先には必ず学問僧がいて、さまざまな知識や経験を得ることができました。「ある意味で非常に恵まれていますが、子どもの頃から他人の中で暮らした春海は自分独りだと感じていたはずです。一本筋の通った意志の強さや他人を排斥しない態度は、このような環境によって養われたのでは」と慶俊さんは語ります。

品川区には春海さんの作品が今も残る

品川区周辺では現在も春海さんの作品を見ることができます。まずは目黒不動尊(瀧泉寺)にある「春洞西川先生碑」。同寺入り口に建つ「目黒不動尊瀧泉寺」の石碑は慶俊さんの作品です。春海さんの作品はほかにも、雉子神社の「立石翁碑」、氷川神社の石碑「冰川神社」と社務所の入り口に掛かる「参衆殿」、山手通り沿いに営業部本店がある「城南信用金庫」、安養院の寺号と名号の石碑があります。日光山輪王寺や浅草寺、人形の「久月」、文部省の看板なども手掛けました。慶俊さんの妻の陽子さんは、「石碑を見れば歴史も学べます。ぜひ近づいてみてください」と呼び掛けます。

慶俊さんの作品

********************************************

品川区ゆかりの偉人(後編)

行元寺(西五反田)の住職で書家の印南慶俊(号豊道溪峻)さん。前編では、近代書道の礎を築いた祖父・豊道春海さんの功績や作品をご紹介しました。後編では、慶俊さん自身のことや書の楽しさについて話を伺います。

第四日野小学校で学んだ子ども時代

 慶俊さんと父の溪龍さんは第四日野小学校に通いました。慶俊さんは、「私が入学すると祖父は喜び、『先優後楽』と揮毫した大きな作品を贈呈しました」と話します。作品は現在、校長室にあるそうです。ほかにも、慶俊さんが在校していた創立35周年の記念誌では、春海さんの作品「敬愛」が巻頭を飾りました。「当時の学校は木造で、周辺は自然がいっぱいでした」と慶俊さん。「学校近くのパン屋で買ったコッペパンに、揚げ物屋のコロッケを挟んで食べたのがいい思い出です」と語ります。

固定観念をなくし自由に表現する

 「書道は子どもの頃に書初めをする程度だった」と言う慶俊さんは、親と同じ書道と僧侶という仕事から距離を取りたいと思っていたため、大学は英文学科に進み、卒業後はシステムプログラマーとして活躍しました。ですが、溪龍さんが体調を崩したり、自身のハードワークが続いたりしたことから人生を見つめ直す機会を得て、自分には書道があると気付いたそうです。書と向き合う決意をした慶俊さんは、溪龍さんと殿村藍田さんに師事し書道の勉強に真剣に取り組みました。

 慶俊さんは、「書道に限らず芸術は無駄な部分が大切」と話します。例えば、墨汁を使えば墨を磨るという無駄はなくなりますが、本来は省けない部分なのだそう。というのも、「墨を磨るのは気を練ること」と言われており、磨りながら自分の思いを練ることで心を静め、気持ちを集中させてから筆を持つことが大事だからです。

 書の楽しさは、型にはまらず自由に創作すること。穂先を使って細い線にしたり、どばっと勢いのある線にしたりするなど、どんなふうに書こうかと考える過程がとても楽しいそうです。教育的観点では、きちんとした字を書く必要がありますが、「太くてしっかりした字が正しいという固定観念に、もう少し伸びしろを付ければ、字に対してはもちろん物事の考え方にも役立つ」と慶俊さんは考えています。また、書を自由に創作できるようになるには時間がかかりますが、「自分を表現するのは技術ではないからすぐにできる」と慶俊さん。子どもたちが気楽に取り組むためには、「自由に表現していいと教えてあげることも大切」と呼び掛けます。

写真左から妻の陽子さん、慶俊さん、豊道春海顕彰会・会員の吉野和典さん

春海さんの功績を次世代に残したい

 慶俊さんは平成26年、「豊道春海顕彰会」を発会しました。春海さんの功績を文字に残し、若い世代に伝えたいという想いからです。慶俊さんは、「春海の生き様を通して、みんなに希望を持っていただけたら」と語ります。

大筆を持つ春海さん

(若松 渚)

タイトルとURLをコピーしました