五反田の今昔

第158号 (2022.4.20発行)

五反田の今昔(前編)

近年、ITベンチャー企業の集積地として「五反田バレー」が知られるなど、新たなイメージが定着しつつある五反田。この地に長く住む五反田一丁目町会・前会長の伊與田(いよだ)正志さんと新会長の川野惠三郎さんに、前編では街の昔の風景、後編では地域の現在と未来について語っていただきました。

ゆったりとして穏やかな風情ある街並み

伊與田さん(以下、伊與田):私の父は昭和4年に五反田で岡崎写真館を開業しました。私は昭和8年生まれです。写真館のあるソニー通り沿いは当時、木造3階建ての長屋がずらーっと並ぶ商店街でした。1階が提灯屋、八百屋、靴屋、食堂などのお店で、上階は住居になっています。

商店街の裏手には松泉閣という大きな料亭がありました。かつて五反田ボウリングセンターがあった場所です。私が小学2年生の頃、料亭の敷地内にある大きな池のそばでよく遊びました。目黒川の水がきれいだった大正時代は、その池から川へ船が出て利用客が船遊びをしていたそうです。

当時の川には柵がなかったので、落ちてしまう人もいました。私は山本橋の辺りでよくトンボ捕りをしましたよ。それと、トイレで汲み取った汚物を運ぶ汚穢船が行き来していて、川幅が今よりも狭かったから船同士がぶつかると汚物がこぼれるのです。だから、周りが臭い時もありました。

昭和初期の目黒川(御成橋付近)

川野さん(以下、川野):私は昭和18年生まれですが、第二次世界大戦中だったので生後すぐに群馬へ疎開して、昭和23年に五反田へ戻ってきました。戦後の風景でよく覚えているのは、焼け焦げた木材で建てたバラックの家がたくさんあったこと。その後、大崎から目黒にかけての川沿いに町工場がたくさんできて、この辺は飲み屋街になりました。仕事終わりの職人さんが一杯ひっかけているのをよく見ましたよ。

五反田駅西口は芸者街で見番が二つありました。大体170~180人くらいの芸者さんがいたと思います。私が小学生の頃は芸者さんの娘や息子が同級生で、120畳くらいある宴会場の脇の広い廊下でよく遊びました。その間、お母さんは三味線や小唄など芸事の練習をしているのです。

大正時代の五反田駅。開業は明治44年10月15日

伊與田:父が町工場へ部品の撮影に行ったり、芸者さんの記念撮影をしに行ったりする時、私も時おり付いて行きました。当時の街の雰囲気はゆったりとして穏やか。みんないい人ばかりでした。

川野:私が子どもの頃は、小学校の運動会で町会別リレーがありました。桜会(五反田一丁目町会)は学年が入れ替わっても必ず3着で、なぜか優勝できないのです。とても印象的な思い出ですね。

伊與田:当時はお店や工場の上に住んでいる人が多く、地元愛の強い人ばかりでした。だから、雉子神社のお祭りはとてもにぎやかでしたよ。今は昼間の人口はありますが、住民は減っていると思います。

伊與田さん(右)と川野さん

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五反田の今昔(後編)

五反田一丁目町会・前会長の伊與田正志さんと、新会長の川野惠三郎さんに伺う五反田の街の移り変わり。風情ある昔の街並みについてお届けした前編に引き続き、後編では街の現在と未来に焦点を当てて語っていただきました。

地域活性化を促す街づくりが大切

伊與田さん(以下、伊與田):私は平成10年から23年間、町会長を務めました。川野さんは約20年にわたり副会長をしていましたが、昨年の4月に会長を引き継いでくれました。本当に助かっています。

川野さん(以下、川野):町会は何をしているのかと聞かれますが、活動は多岐にわたります。防犯や防災の活動をしたり、区の行事を知らせたりするので、町会とのつながりがないと区の活動や情報から離れてしまいます。だから、まずは催し物に出てみてほしいですね。

五反田駅東口駅前にヒマワリの種をまきました
ヒマワリ

伊與田:雉子神社で歳旦祭、節分、新嘗祭などの行事がある時は、町会の人にもお知らせしています。ほかにも町会のお祭りやバス旅行を開催するなどしてきましたが、新しく来た人とはつながりがないので、なかなか参加してもらえません。とても寂しいですね。

昔には戻れませんが、私は日本家屋が大好きです。木造だった頃は、「防災訓練をするから集まって」と大きな声で呼び掛けると、上の階から住人が顔を出して返事をしてくれました。時代とともに街が変化するのは仕方がないけれど、ビル街になってからは人間関係がどんどん薄れて、みんなが遠くへ行ってしまったように感じます。

川野:この辺りは開発の話も出ていますが、駅から離れた場所にただビルを建てても人が集まらないですよね。五反田駅東口のロータリー周辺の広場をどう活用するかなどを含め、街全体で考えていかないと五反田の価値は上がらないのではないでしょうか。

この辺のマンションに住んでいる人の多くは、地元の五反田で買い物をせずに赤坂や六本木、銀座などへ出てしまいます。だから彼らのニーズを満たすお店を増やし、子どもが遊べる核となるスポットをつくれば、人が集まってくれるのかなと思います。

駅前の開発の場合、ビルに人を集めて利益を出さなければなりません。地域活性化を促すような街づくりのコンセプトがないと、良い方向へ進めるのは難しいのではないでしょうか。

目黒川の桜

伊與田:とはいえ、目黒川の桜やイルミネーションがメディアで紹介されたり、観光船が発着する船着場ができたりと、五反田もがんばっているなと感じています。五反田フェスティバルなどのイベントを通じて、若い世代が街を盛り上げようと活動しているのも心強いですね。

五反田リバーステーション(五反田船着場)

今後ビルが増えても、駅から少し離れたところに樹木や花があって、ベンチで休んだり噴水を眺めたりできるような環境にしてほしいです。 私は、五反田の将来像は明るいと思いますよ。

(若松 渚)

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